Taisuki Café

台湾が大好き♡

亜戯亜参上 演劇でアジアを結ぼう!

「亜戯亜」と書いてなんと読む?実はこれ中国語のアジア(亜細亜:ヤーシーヤー)と同じ発音の造語。「演劇(戯)でアジアを結ぼう!」と日本と台湾の演劇人が一念発起して旗揚げした劇団の名前です。さて、今回はこれから私が台湾で展開していこうとしている演劇活動に関してのお話を書かせていただくのですが、一体、どこから話せばよいのだろう……?

初めての台湾から大好きな台湾へ

私が最初に台湾を訪れたのは1989年3月。当時、中国語を学ぶ大学1年生だった私は、無謀にも溢れんばかりの好奇心と一緒に3週間の台湾一人旅に挑んだのです。

初めての台北は何もかもが真新しく、龍山寺の占い、怪しいムードの華西街、荘厳な憲兵さんたちの交代式、ビルになる前のごちゃごちゃした士林の夜市、未だにある台北YMCAの前にある小汚い朝のお粥屋さん、何を見ても嬉しい楽しい大好き!一瞬にしてI LOVE台湾娘に。台北をソコソコ満喫した後は、当然、更に足を延ばしたくなる。

台北から先ずは花蓮に日帰り旅行。その後は大きなボストンバック持って、台湾縦断旅行!当時は高速鉄道もない。台北駅だってレトロな旧駅舎。車窓から眺める風景に目を丸くしながら、南へ南へと向かった。彰化‐鹿港‐嘉義‐阿里山‐台南‐高雄‐墾丁、どの町にも少しずつ違った生活文化と風景があって、そしてどの街でも素敵な人達と出会った。

墾丁へ向かう車の車窓から

その中でも一番に印象に残っているのは、花蓮からの帰りの出会いだろうか。

花蓮からの帰りの列車は混んでいて、ドキドキしながらリュックを持って立っていた。目の前に座っていたご夫婦が「カバンを持ってあげよう」と手を差し出してくださる。日本では有り得ないことなだけに「これは絶対に盗人だ」と、最初は警戒して首を振っていたけれど、あまりに何度もアプローチして来るので(笑)「プーヨン!(不用:大丈夫です!)」と言うと「なんだ!喋れるんじゃないか!すっかり口が不自由な子かと思っていたよ。どこから来たんだい?」とこちらの警戒心をよそにガンガン話かけてくる。日本人だと言うと、年はいくつだとか、どこで中国語を勉強しているんだかとか矢継ぎ早に質問が飛んでくる。そして台北駅で一緒に列車を降りると、私にどこに泊まるのかを聞き、私が目指すホテルを答えると「そんなところに一人で泊まっているとさびしいし中国語の勉強にもならないから、家に泊まりに来なさい。家には女の子が4人いるから楽しいよ。」と拉致されるように、張家に連れて行かれる(笑)そして、私は高校生を筆頭に小学生までの4人姉妹と雑魚寝をすることになり、台湾縦断旅行から帰って来ても、またお世話になり、それから何年も張さんとは月に2回は文通していた。

当時、私は旅で出会った5人くらいの友人と、文通していて、毎日のように中国語で手紙を書いていた。こうやって私の中国語が鍛えられたのだ。本当にたくさんの素敵な出会いがあって、その一つ一つが私の宝物。墾丁にハネムーンに来ていたカップルは「初めて本物の日本人に会えた!」と私との出会いを喜び、自分がしていたショールをプレゼントしてくれた。それを、私は今でも大切に時々使っている。

それ以降、私は北京に留学し、香港に移り住んだりするのだけれど、それでも繰り返し繰り返し、懐かしい風景と温かい出会いを求めて台湾を何度も訪れた。

あれから28年、まさか台湾で劇団を旗揚げする日がくるなんて思ってもみなかった。

嘉義のローカル劇団「阮劇団」との出会い:流山児祥からのオレオレ電話

私は20代を北京で、30代を香港で、演劇を作りながら生きてきた。40代になって、母が認知症になったこともあり、もうそろそろ日本に腰を据えてみようかなと東京で生活し始めたけれど、それから8年、なぜかまた台湾で芝居を作ろうとしている。どうしてそんな日が来たのか……それは「縁」と「タイミング」(笑)

ここ数年は、アルバイトでオペラの通訳に入ったことがきっかけで、東京でオペラの裏方をしていた。私の興味の対象はもっぱらヨーロッパに移り、台湾との最後の仕事になるはずであろうツアー公演の帰りに、空港でぜーんぶ台湾ドルを使い果たしてやった!「バイバイ台湾!もう二度と来ないぜ!」くらいの勢いで。そして、私はイタリア語を勉強するためにイタリアに3回も短期留学し、本場のオペラに、無数にある美しい教会に、ミサの歌声に、心を奪われアジアとは違う優雅な美に魅了されていた。

ベローナの野外オペラ劇場

ところが……

そんなある日、東京の家の電話が鳴り響いた。

「オレ、リュウザンジ(演出家:流山児祥)だけど。マクベスを台湾の役者と一緒に作りたいから、コラボしてくれる劇団探してくれよ。」

あ……まただ……

まるでデジャブ。
私がアジア公演のコーディネーターを始めたきっかけも全く同じ。

2001年、香港の家の電話が、突然、激しくけたたましく鳴り響いた。

「オレ、リュウザンジだけど。アジアで公演やりたいから3か所くらいできるところ見繕ってくれよ。じゃ、制作に電話替わるから……」

当時、私は、コーディネーターなんて全くやったことがなかったのに、香港に住んでる演劇人というだけで、いきなり家に電話がかかってきたのだ。そして私も私で、その勢いに気押されて「はい」と承諾してしまった……受けちゃったからにはやらなきゃならないと、ありとあらゆるコネクションを使って北京、マカオ、台湾での受け入れ先をなんとか探し、私の初の海外コーディネートというミッションが遂行されたのである。

それまでに、流山児さんとは、北京で一度お会いしただけ。それがまるで10年来の知り合いのように、かる~く無理難題を振ってきたのである。

そんな暴れん坊将軍・流山児祥からのお願い事を、今回も無碍にすることは出来ず、気が付いたら2016年夏、私は演出助手としての嘉義にいた。

台湾では超人気の演出家の流山児祥である。が、台湾の役者と一緒に作るのは初めて。おまけに台湾語での上演。日本語を、まずは中国語に翻訳し、それを更に台湾語に翻訳しての台本作り。翻訳なんだから、日本語の台本を見ていたら、俳優達の芝居がわかりそうなものなのだが、見ていてもさっぱりわからない。なぜそのセリフで笑う?とか、日本語は一言しかないのに、なぜか台湾語だとベラベラ喋っていたり疑問だらけ。長い台詞はカットしようとしても、「いや、カットできない」という。台湾語と言うのは、物事を直接表現しないという文化を持つ言語だそうだ。だからいろんなことを回りくどく、とにかくにみんなベラベラよく喋るのだそうだ。ふーむ。あんまり理解できないが、それを疑問に思っていても進まないので、手探りしながら役者のみんなとのコミュニケーションを図る。

男子にとっては初めての殺陣(日本式武打)、そして女子は歌いながら激しく踊るダンス。ダンスと言ってもただ踊るだけではなく、役として芝居として踊れ!とか、歌も歌いあげるのではなく、ちゃんと芝居しろ!とか、殺陣だってまずは基本動作ができた後に、役として戦わなければならない。みんな初めての事なのに、日本側からの注文が多くて、それはそれはもう大変。稽古を始めたばかりの頃は、もう本当にあまりにヒドくて(笑)、本当に、私もどうしてよいかわからなくて、だからもうガムシャラに稽古するしかなかったですよ。

幸いにも昨年は、労働基準法改正前だったので1日8時間以内の稽古という制限もなく、ほぼ毎日朝10時から夜10時まで、殺陣、ダンス、歌、芝居のローテーション組んで稽古・稽古・稽古!稽古開始して3週間目くらいまでは、全く進歩がみられず、「どうすればよいのだろう……」と、頭を抱える毎日だった。でも4週間たったある日、なぜか急に女子の芝居が変わり始めた。

え?なぜ?急に一人一人のキャラクターが見えて来たし、みんなキュートで可愛いんですけど……と思い始めたら、もうそこから女優の成長は止まらない。まさに日進月歩の上達で、みるみる内に、みんなが素敵な魔女になってしまった。そして男優達も同じく自分の戦士というキャラクターを確立させて、世界が立体的に立ち上がって行った。

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( 提供:阮劇団 撮影:黃煚哲 )

本番はあまりにも素敵な魔女達に、私はオープニングの歌から涙がボロボロ出てしまう。自分の作った作品を見て泣くなんて最低だ。仕事なんだから!と、自分をつねりながらも、最初にゆるんだ涙腺はどうすることもできず、ラストのマクベスとマクダフの闘うシーンでは「なんで人は闘うんだろう。私は自分の大切な人を失いたくない。戦争反対!」とかすっかりのお客様に成り上がったように、大嗚咽しそうになるのを必死でこらえていた(笑)

マクベスは、約30年近く芝居をやって来て、一番苦しく、そして一番愛すべき作品となった。30人の役者が暗中模索の私に、文句ひとつ言わずについて来てくれた。そしてこんなにも素敵な作品を作ってくれた。それは本当に感動に値する。

台湾の俳優は一人一人すごい潜在能力を秘めている。そして台湾人特有の大らかな心で、日本人から投げかけられるダメ出しを一つ一つ吸収し消化していく。恐らくもともと持っている身体能力も日本人より高く、すごい瞬発力を持っている。そして何よりも優しい。自分のことだけを考えるんじゃなくて、常に相手のことを考えている。だから積み重ねる方法さえわかれば、ものすごい勢いで芝居が積みあがっていく。

流山児★マクベスの噂は台湾全土に広がり、なんと台湾の文化部部長まで、嘉義に芝居を見に来てくださり、そして私たちが目指す次なる目標シビウ演劇フェスティバル参加への支援を約束してくださり、今年2017年6月、彼らはルーマニア・シビウで堂々とアジアのマクベスを発信してきた。台湾の田舎の嘉義で13年間も、地道に活動してきた阮劇団。よくも流山児さんの無謀は夢に乗ったね。本当に素敵な劇団だと思う。

そして私もこんなに素敵な俳優たちと一緒に作りたい!と、またまた芝居の虜になっていた。
そして、私は2017年1月になんと台湾と東京に一挙に二つの劇団を作ってしまったのである。

演劇で感動の輪を広めたい:「亜戯亜参上!亜細亜の骨」

そんな白熱のマクベス稽古の中、真の戦友となってくれたのが、マクダフ役の彭浩秦である。たまたま宿泊先の部屋が隣だったので、稽古後は毎日その日の振り返りをし、次の日の目標を決める。殺陣隊長としても、稽古前の基本練習を仕切ってもらったり。そうかと思えば、オフの前日には、完全オフモードで、朝4時まで、ダラダラ飲みながら自分たちの芝居観について語りあう。とにかく演劇的に信じれるし頼れるヤツなのである。
と、いうことで気が付けば、二人で劇団を旗揚げしていました(笑)

その名も亜戯亜

演劇で日本と台湾を、そしてさらには韓国、マレーシア、シンガポール・・・・とアジアを繋げたい。かつて日本はアジアの色々な国々に多大なる迷惑をかけてきた。だのに、みんな、個人としては日本人によくしてくれることに私は本当に感激している。みんな優しい。だから私は演劇という行為で感謝を述べたい。

まずは台湾から。
2度に渡る大震災で、どこの国よりも早く義捐金を届けてくれた笑顔の街・台湾。そんな台湾に私は演劇人として面白い作品を届けることでしか恩返しができない。

そんな私の夢に乗っかってくれた彭浩秦。彼がどうして私の夢に乗っかったかは知らない。でも、今、亜戯亜は彼の夢でもある。この劇団の作品が台湾の演劇界にそしてお客様に、たくさんの面白い作品をプレゼントできればと思っているのはきっと同じだと思う。早く旗揚げ公演をしたいのに、それまでにまだまだ時間があるということで、フライングのリーディングをします。第10回台北フリンジフェスティバル参加作品『別役実の受け付け』。

この物語は精神クリニックの受付嬢とそこに来た患者の不思議なやりとりで展開されるのですが、それを日本植民地時代の建築物の仁安医院でやらせていただきます。過去の古い歴史の上に、自分たちがこれから歩んでいく新しい歴史を築き上げたい。演出は俳優として実に繊細なセリフの読み込みをする彭浩秦が担当。日本語版の受付嬢は、亜細亜の骨の団員である在日韓国人の洪明花。とってもキュートな女優さんの台湾デビューです。中国語版はこの作品の翻訳者であり、元中央戯劇学院演技コース出身のE-RUNこと山﨑理恵子。つまり私。そして患者は日本語版、中国語版ともに、このTaisuki Cafeでもおなじみのシンガーソングライターであり俳優である馬場克樹さん。なんと馬場さんは北京留学時代にお世話になった方で、去年の流山児★マクベスで何十年ぶりかに再会したのです。「縁」でしょ!

2人の男女の奇妙な会話が繰り広げる別役ワールド、1980年に書かれた作品なのに、色褪せることなく、今日でも様々な形で上演し続けられているロングセラー作品。当日は会場で中国語翻訳冊子も販売の予定。是非とも、この戯曲が台湾の素敵な俳優達にいろんな形で上演してもらえればと願って止まない。本当に面白い作品なので、みなさん是非見に来てくださいね!

因みに、日本にアジアの面白い作品を伝えたいという気持ちで、同時に日本に亜細亜の骨を旗揚げしましたが、今日はおしゃべりしすぎたので、それは機会があればまた。

第10回台北フリンジフェスティバル
別役実の受付』

8月26日(土)、27日(日) 仁安医院
8月31日(木)9月1日(金)Woolloomooloo西門町
*チケットは両庁院チケットシステムにて絶賛販売中!

亜細亜の骨
2017年1月に東京にて旗揚げされた劇団。北京・香港と中国語圏にて長い留学・海外生活の経験を持つ山﨑理恵子と在日韓国人で、韓国に演劇留学経験を持つ洪明花が、演劇を通じてアジア交流をもっと盛んにしようと旗揚げした劇団。

亜戯亜
2017年1月に台湾にて日本と台湾の演劇人によって旗揚げされた劇団。
・日本の戯曲の翻訳公演・日本の舞台人のワークショップ・日本と台湾の演劇人のコラボレーションなど、演劇を通じて先ずは日本と台湾間の草の根的交流を広げていく。そしてそれを次第に韓国、マレーシア、シンガポールと徐々にアジアに広げて行くのを目標としている。

阮劇団
台北芸術大学の卒業生を中心に組織した劇団。2003年旗揚げ。演劇・文化の中心である台北を離れ、台湾の南部にも演劇文化を根付かせようと嘉義県をホームグラウンドに活動。演劇の大衆化を目指し、古典作品の現代化や、台湾の人々が普段話す土着の言語・台湾語での演劇上演を行う。 2017年6月創立14周年で初の海外公演を実現。シビウ演劇フェスティバルの劇評集では、表紙を飾るほどの注目作品『マクベス』を世界に向けて発信した。

寄稿者情報

E-RUN/山﨑理恵子
京都産業大学外国語学部中国語学科卒業。
在学中より二度に渡って中央戯劇学院の演技学科に留学。留学中に日本の現代作品の中国語による演劇のプロデュース公演を始める。2000年に修士号取得のち香港に移住し、演劇制作会社offoce30を設立し日本の作品の主に広東語による上演のプロデュース公演を行う。
2009年日本に帰国し、腰を落ち着けるかと思いきや2017年台湾で亜戯亜という劇団を台湾の俳優・彭浩秦と旗揚げ。また同時に東京にて在日韓国人の洪明花と共に亜細亜の骨を旗揚げ。翻訳作品に日本当代劇作選(唐山出版社発行)がある。

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